上田映劇にイタリア映画の名花集結

上田映劇で突然、ロッサナ・ポデスタとカトリーヌ・スパーク、ラウラ・アントネッリの代表作が上映された。

夏の日の上田映劇

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選などで旧作発掘に意欲的なキングレコードの再輸入による特集。
今回はポデスタの2作品(「黄金の七人」「黄金の七人・レインボー作戦」)とスパークの「女性上位時代」、アントネッリの「セット・マッソ」をセレクト。

上田映劇に時ならぬイタリアの名花が咲き誇った。

「女性上位時代」 1968年 パスカーレ・フェスタ・カンパーレ監督  イタリア  上田映劇上映

カトリーヌ・スパーク主演の艶笑コメデイ。
カトリーヌは1945年フランス生まれの女優で、一族はベルギーの出身。
父親のシャルル・スパークはフランス映画黄金時代の脚本家だった。

10代のころからイタリアで女優として活躍していたカトリーヌ。
「太陽の下の18歳」「狂ったバカンス」などで175センチの肢体を披露し有名となった。

「女性上位時代」では20代となっていたカトリーヌだが、堂々の主演を張る。
監督は「若者のすべて」「山猫」の脚本家で、イタリア映画本流の実力派のカンパーレ。
相手役ジャン=ルイ・トランテイニャンをフランスから迎えるなど一流の布陣である。

入場者に配られた「女性上位時代」ポスター

カトリーヌは夫に死なれたばかりの富豪未亡人の設定。
世間知らずのお嬢様そのものの風体で、様々な最新ファッションに身を包み、男から男へと渡り歩く。
一度付き合うと、夢中になる男どもを相手にせず、次の男へ。

育ちがよく、アイドル性もあるカトリーヌの存在そのものがこの映画の生命線。
既に多くの出演作を経て、若干の疲れが表情とお肌に現れた?カトリーヌだがまだまだ20歳を超えたばかり。
脱ぎっぷりよく男優陣の間を駆け巡る。

60年代に活躍したイタリア女優のレジェンドの一人である、カトリーヌ・スパークの貴重な姿が見られた。
イタリア映画がなぜか固執する富豪の成金生活ぶりも今となってはキッチュ。
ある意味カルトっぽくもあるイタリア映画。

入場者にオリジナルポスターのコピーを配ってくれた上田映劇の対応もナイス。

「セット・マッソ」 1973年  デイノ・リージ監督  イタリア  上田映劇上映

イタリア映画の60年代以降の名花といえば、ラウラ・アントネッリを忘れてはいけない。
「青い体験」は当時のヤングにとって、母性と懐かしさに彩られた衝撃作であり、ラウラは永遠のアイコンとなった。

ラウラ・アントネッリは1941年クロアチア生まれ。
1971年に「コニャックの男」でベルモンドと共演して以来10年間の愛人生活。
「セット・マッソ」はその最中の作品。
その後、「青い体験」で全世界のアイコンとなり、ヴィスコンテイの遺作「イノセント」にも出演した。

入場者に配られた「セット・マッソ」のちらし

「セット・マッソ」はイタリア式艶笑コメデイの究極形。
10話に近いオムニバスの中で、演技派ジャンカルロ・ジャンニーニとのコンビで、ある時は富豪のマダム、ある時は極貧の子だくさん、ある時は尼僧姿で登場。

仮装の限りを尽くしオーバーなパフォーマンスに終始するジャンカーニに、演技力では一歩劣るも存在感では決して引けを取らないラウラ。
そのボリューミーな肢体を見せるだけですべてを納得させてしまうのは、彼女の女優としての財産。

庶民性と逞しさという、イタリア女優の伝統を継承しているのもいい。

チラシ裏面その1

イタリア映画の流れとしては、おおらかな時代の艶笑コメデイー例えば50年代のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビの作品ーが60年代になってアイドル性の高い女優が華美なファッションに身を包んで登場し、70年代に至ってはより露出性を高めつつも混迷を極めてきた、ようにも見える。
「マット・ロッソ」にはその混迷のさまが見える。

チラシ裏面その2

ただしラウラ・アントネッリの存在の絶対感は改めて確認できた。

投稿者: 定年おじさん

1956年北海道生まれ。2017年に会社を退職。縁あって、長野の山小屋で単身暮らしを開始。畑作り、薪割り、保存食づくり、山小屋のメンテナンスが日課。田舎暮らしの中で、60歳代の生きがい、生計、家族関係などの問題について考える。60歳代になって人生に新しい地平は広がるのか?ご同輩世代、若い世代の参加(ご意見、ご考察のコメント)を待つ。

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