1914年生まれのバッド・シュルバーグが映画プロデユーサーの父とともにハリウッドで暮らした当時、1920年代の自伝,「ハリウッドメモワール」を読んだ。
1982に発表された「Movinng Pictures」が原作である。
著者は、ロシアやバルト三国出身のユダヤ人の両親の元、移住先のニューヨークのユダヤ人ゲットーで生まれた。
著者の父親、B・P・シュルバーグはニューヨークで映画広告文のライターを始めてから映画業界に入り、のちのパラマウントのタイクーン、アドルフ・ズーカーの下で売り出した。
ズーカーはオーストリア=ハンガリー帝国出身のユダヤ人で、アメリカ移住後、毛皮商で身を起こし、劇場経営で財を成してから映画製作に乗り出していた。
B・Pはさらに、ルイス・B・メイヤー(のちのMGMのタイクーン)の下で働き、たもとを分かったのちも大物プロデューサーとして映画界に君臨した。
一家はこの間、ニューヨークからハリウッドに移住し、著者は映画スタジオのボスの御曹司として何不住なく育った。
一躍、超高給取りとなったB・Pは、趣味のボクシング観戦と高額掛け金のギャンブルをエンジン代わりに映画製作に邁進してゆく。
自分の地位の安泰には何の保証もないヤクザな世界で、権力者たちの裏切りに会い、配下の監督やスターたちのわがままに日々付き合い、日常的には夜中までの打ち合わせ、本読み、試写をこなす毎日。
この時代、ハリウッド黎明期のタイクーンたちは、例えばキエフ出身の装身具製造業者(ルイス・セルズニック)だったり、ワルシャワ生まれの手袋のセールマン(サミュエル・ゴールドウイン)だったり、ミンスクに生まれカナダ移住後はくず拾いをして少年時代を過ごし(ルイス・B・メイヤー)たユダヤ人たちだった。
ポーランドの靴屋の息子だったハリー・ワーナーはスタジオを見回りつつ落ちている釘を拾っては口にくわえて歩くのが習だったという。
本作では、この時代(1920年代)に子供時代を過ごした著者が、スタジオ(父親のB・Pが支配しているパラマウントの)で、自宅で、見聞きした、映画人の素顔がつづられる。
そこに登場するのは、クララ・ボウ、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、ジョセフ・フォン・スタンバーク、フレデリック・マーチ、フランク・キャプラといった面々。
なんとハリウッド訪問中のエイゼンシュテインとも交流している。
貴重な当時のエピソードがつづられる。
シュトロハイムが映画史に残る2作品(「メリーウイドウ」と「グリード」)世に出しつつ、大幅な予算と撮影期間の超過によりMGMから放逐された後、B・Pが彼を迎えて「結婚行進曲」を撮らせたものの、嵐のような2年間の製作期間ののち、さすがのB・Pも制作ストップの命令を出さざるを得なかったこと。
愛嬌のある下町娘をクララ・ボウとしてスターに育てたB・P。
彼女は売り出しイメージの「イットガール」そのものの私生活ぶりだったが、当時子供の著者バッドには優しかったこと。
革命ソビエトからハリウッドを当時訪問していたエイゼンシュテインに対し、B・Pは2、3の企画を提案していたこと!
当然実現しなかったその企画は、1本は西部劇で、もう1本は米ソ合作の「戦争と平和」!だったこと。
一方、著者が最も心痛めたのが、センシティブな自身の感性との折り合いと両親の不仲による傷つき。
吃音に悩み、学友にいじめられた学校時代。
父親は自身が売り出したハンガリー系のユダヤ人女優、シルビア・シドニーのもとに走り自宅へ帰ってこない。
フロイトを理解し、進歩的な思想家ながら、浮気する夫を見限り、映画界初の代理人業で打って出る母への複雑な思い、は本作の重要な背景をなす。
やがて大学入学を前に、著者は車で大陸横断し東部へ行く。
1930年初頭の自動車の旅は、モンタナ州の崖でトラックとすれ違いざまに脱輪したり、パンクとガス欠で何時間も通りかかる車を待ったり、同行することになった車がヒッチハイクの女の子を乗せたた挙句、横転し、同行者と女の子が入院することになったり。
ひとたび親もとを離れた筆者のこころに映る世間の風は厳しい。
「こいつらハリウッドの汚らしいユダ公めら、俺っちの娘っ子たちにいやらしい手を出しやがった」(本書388ページ)というのが、自分たちに向けて発信される世間一般の心情だということに気づく。
著者の感性はまた、東部のダートマス大学予備校にあって、ユダヤ人としての被差別意識を端々に痛感する。
1930年代となり、映画産業(製作、配給、興行を統合していた時代の)がユダヤ商人たちの独占から、銀行資本などの参入と支配が始まった時代のハリウッド。
著者が自らの成長に重ね合せ、その時代のハリウッドうを活写した貴重な記録である。
(余談1)
本書の子供時代や青春時代の描写に、ユダヤ人作家サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」と共通するテイストを感じた。
センシテイブでどっちつかずの感情描写が似ていた。
どうしてもユダヤ人の感性の共通性(そんなものがあるとして)を感じてしまう。
(余談2)
本著者が学校時代に級友にいじめられ、毎日ハリウッドの豪邸に逃げるように帰っていたというところを読んで、ウッデイ・アレン自作自演の自伝的映画「泥棒野郎」(1969年)の一場面を思い出した。
それは子供時代のアレンが、いじめっ子に出会う度に眼鏡を引き落とされて踏みつけられる何度かのシーンの後、いじめっ子と出会ったアレンが、あわてて自分から眼鏡を落として自ら踏みつぶすというシーンだった。
自虐的までにセンシテイブなところが、ユダヤ人の精神性なのであろうか。